飴玉の幻影 PartⅡ

2023年9月17日(日) 第三主日礼拝

宣教者 高見龍介牧師

創世記 25章27~34節

本日はエサウとヤコブ兄弟による長子権移譲物語を学びます。その本題に入る前に、そもそも「長子とは何ぞや?」ということから考えてみたいと思うのです。
旧約聖書では、「初めて得られたものは、聖なるもの」とされていました。土地の産物(穀物・果実)、家畜の初子、人間の初子、これらは全て神のもの、聖なるものであるがゆえに神に献げられたのです(出エジプト記13:2、23:19)。しかし、人の初子だけは、犠牲として献げることができなかったため(人身御供の禁止)、銀5シェケルをもって贖われたのです(民数記18:16)。このように、人の初子(長子)は神のもの、聖なるもの、尊いものであったのですが、それは同時に、人にとっても聖なるもの、尊いものであったのです。なぜなら、長子の誕生により、その家系の将来が保証されることになったからなのです。
長子には、家長の次に座し、祭儀の仕事を手伝い、家系を絶やさない責任がありました。それに付随して、長子には一族を統べ治める権威が与えられ、さらには財産を他の弟たちよりも2倍多く相続することができるという特権もあったのです。しかしながら、それらの特権は、父親からの祝福を受けて、初めて有効になるものであったのです(長子の権と父親の祝福はセット)。しかもこの権利は、生まれながらにして付随してくる権利であり、決して後天的に獲得されるものではなかったがゆえに、長子権の変更は原則として許されないものであったのです(申命記21:15以下)。ただし、長子が不祥事を起こした場合のみ、その変更が許されました(創世記49:3~4、22~26では、長子ルベンが父ヤコブの側女ビルハと寝たため、その権利はヨセフに移譲されています)。以上のことを頭に入れて、この長子権移譲物語を読み進めていくことにしましょう。

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