嫁に来ないか?

2023年7月30日(日) 第四主日礼拝

宣教者 高見龍介牧師

創世記 24章28~36節、49~61節

イサクの嫁を迎え入れるために遣わされた名もなき僕。彼は頑固なまでに神に忠実であり、
その信仰姿勢は筋金入りと言えるものでした。そんな彼の信仰姿勢は、以下の聖書箇所から
読み取ることができるのです。
① 創世記24章33節
リベカの家に招かれた彼は、食事をいただく前にまず用件を語り始めます。普通なら、まず
食べて飲んで、自らの空腹が満たされてから用件を切り出すものですが、しかし彼の場合は、
神と主人から託された使命を第一とし、その使命であるイサクの縁談話を忠実にベトエル一
族に伝えることから始めているのです。このように、彼は神と主人に対し飽くまでも忠実で
あり、熱意をもって使命に取り組んでいたことが分かるのです。
② 創世記24章52節
ベトエル一族がリベカの嫁入りを承認した時、彼は神に礼拝を献げています。これは今回のミッションの成功が、神の助けによるものであることを自覚した彼が、神に栄光を帰すために行った行為なのであり、ここに成功を自らの手柄としない彼の謙虚さが表れているのです。
③ 創世記24章49節
リベカに縁談話を申し入れている時、彼は一方的かつ強引に話を進めようとはしなかったのです。ともすれば、私たちの日常において、これは神の御心だからといって、自らの意見を絶対化し、相手の意志を無視してまで、自らに従わせようとすることがよく起こるのです。しかし、彼は飽くまでもベトエル一族の人格を尊重し、彼らに選択の自由を与えていることから、ここに神と同じ愛に生き、人に対しても誠実に生きる彼の生き様が表れているのです。
この僕の頑固なまでの神への忠実さと人への誠実さ。この信仰態度に接したリベカは、こ
の僕の背後に真の神の存在を見ることができたのです。この時、リベカには「真の神は私たちへの祝福のミッションを忠実に、かつ熱意をもって果たしてくださり、私たちの人格を尊重してくださって、常に下から愛の力で誠実に支えてくださるのだ!」との確信が与えられたがゆえに、彼女はためらうことなくこの縁談話を受け入れることができたのです。
ここから言えることは、僕がリベカの信仰を後押しする、よき証し人としての役割を果たしているということなのです。私たちもこの僕のように、日常生活の中で神への忠実と人への誠実さに生きるならば、出会う人々に神を証しすることができ、人々の心に喜びと安心を与えることができる。そして、それこそが、救いと祝福の道を開いていくことになるのです。

コメントは利用できません。