それはバプテスマから始まった

2020年10月11日(日) 第ニ主日礼拝

宣教者 岡村直子牧師

マルコによる福音書 1章1〜11節

本日からマルコによる福音書を1章から読んでいくことにしました。今日のメッセージの題を《それはバプテスマから始まった》としています。「バプテスマ」という言葉を聞き慣れない方々もいらっしゃるかもしれません。この日本バプテスト東京第一教会は「バプテスマ」という言葉を大切にしている教会です。皆さんが用いている聖書に今日読むマルコによる福音書1章4,5,8,9節に「バプテスマ」という言葉が使われているでしょうか?新共同訳聖書では「洗礼」という日本語訳の横に「バプテスマ」というルビがふられています。新改訳聖書では、「洗礼」と言う言葉はなく「バプテスマのヨハネが…バプテスマを説いた。」と直に書かれています。新約聖書の原語はギリシャ語で、日本語で「洗礼」と訳しているギリシャ語は「バプテスマ」です。体を全部水に沈めるバプテスマはユダヤ教で行われていた儀式でしたが、キリスト教では、それをキリストと共に古い自分に死に、キリストと共に復活して新しく生きる、という意味付けをして、信仰告白と共に重要な礼典となりました。そしてバプテスマを受けるということは、キリストの体である教会のメンバーとなり、キリストの体の一部となるという入会の儀式ともなっています。今日読む聖書の記事には、イエスがバプテスマのヨハネからバプテスマを受ける、ということが記されています。ヨハネのバプテスマは、罪ある人の悔い改めのバプテスマでした。罪無き神の子イエスがバプテスマをどうして受けたのでしょうか。現在でも行われているバプテスマと合わせて共に考えてみたいと思います。バプテスマは全ての人に体験していただきたい神の祝福であり、喜びの出来事です。キリストと共にある新しい命へのスタートです。あなたも神から招かれています。

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