永遠のいのち

2019年7月21日   第三主日礼拝

宣教者:柏雅之神学校本科生

ヨハネによる福音書3章16節 ローマの信徒への手紙8章28節

現代では「持続可能性」が世界的に大きな課題とされています。人は古来、それを求めて、さまざまな場で努力を重ねてきました。家族の、家族が属する地域社会の、地域社会が属する国の、国が属する世界の持続性です。そして、その見通しが得られると思えば安堵してきました。神から世界を治めよと託された人類にとって、それは確かに重要なことです。しかし、大事なものを見落としていないでしょうか。あえて持続性という言葉を使うなら、我々一人一人の「いのちの持続性」です。生まれながらの人にそれはありません。たとえ全世界を手に入れても、人はいのちを買い戻すことはできません。人は、日常性に埋没することで、この根源的な問いから逃げてきました。これを直視することは耐え難いからです。

人はどうしていのちを失うのか、どうすれば永遠のいのちが与えられるのか。聖書には明確な回答があります。神は、愛するひとり子イエス・キリストの犠牲によって、御子を信ずる者の罪の代価を全て支払い、身許に買い戻してくださいました。これによって罪許された私たちには、永遠のいのちが与えられることになりました。これは、地上で信仰生活を歩むうえでも重要なことです。

私たち救われた者たちもこの世にあっては試練や艱難があります。しかし、私たちはそれを通して、過ぎ去りゆくこの世に全幅の希望を託すことから離れ、永遠のいのちを見つめ希望を託する信仰が与えられます。「あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい」(コロサイ3:2)の信仰です。また、「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」(ロマ8:28)ことも、この世のスケールで益とされることのみならず、永遠のスケールで見て益とされるであろうという信仰を与えられることになります。これらのことを皆で考えていきたいと思います。

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