迫害の予告

2019年11月3日(日)  第一主日礼拝

山本弘夫伝道主事

マタイによる福音書10章16~25節

  イエスは、弟子のなかから12人を選び、ガリラヤ地方へ
遣わしますが、ここから本格的な伝道が始まります。
 本日の箇所で、イエスは「弟子たちを伝道に遣わすのは、狼
の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、
鳩のように素直になりなさい。」と語ります。地方法院に引き
渡されて鞭打たれたり、総督や王の前に引き出されて証をする
ことになるが、そのときどう語るかは心配する必要はない、父
の霊が語って下さると語ります。
 世の終わりの時の預言でしょうか。兄弟同士の争い、父と子
の争いが予告され、あなた方はすべての人に憎まれることにな
るが最後まで耐え忍ぶ者は救われると伝えられます。耐え忍ぶ
ことの大切さが語られます。
「一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい」
と忠告されます。本当に必要な場合に殉教することはありえる
かもしれませんが、命を無駄にせず大切にするために他の町へ
逃げることが勧められます。そしてイスラエルを回りきらない
うちに人の子が来ると語られます。
マルコとルカでは今生きている人がまだ生きている間に神の国
が来るとの意味が書かれていますからその後のキリスト教の進
展を語ったと読むことも可能です。しかし弟子たちが生きてい
る間に人の子が来るというマタイ記載の言葉は実現していませ
ん。マタイによる福音書が書かれた時代の迫害のなかで人の子
がくることに希望を見いだしたことによる表現と解釈されます。
 「弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分
である」と書かれています。師であるキリストが歩んだ道を
弟子もまた歩むという意味と解釈されます。厳しさもあります
が希望と喜びもあります。

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