父の神よ 汝がまこと

2022年6月19日(日) 第三主日礼拝

宣教者 高見龍介牧師

出エジプト記 3章14~22節

シナイ山でご自身を顕現された神様は、モーセにその名を聞かれた時、「わたしはある。わたしはあるという者である」と自己紹介をされました。この言葉は、ヘブル語原文で「エヘイェー・アシェル・エヘイェー」と記されています。
ところで、ユダヤ人の思想世界における「存在」の形態は、すでに過去において存在してしまったか、あるいは現在も含めて未来に向かって存在し続けようとしているかのどちらかを指すものであると言われています。すなわちそれは、「現在」というものが、時間の世界において刻々と過去に飛び去っていく一方で、刻々と未来に向かって延びていっていることと一致するものなのです。このような観点に立つため、ヘブル語における動詞の時制は、完了形と未完了形の2種類しかないのだそうです。
これに従って言えば、前述の神様の自己紹介は、現在から未来に向かっての語りとなるため、「I will be who I will be」、すなわち「わたしは存在しようと意志し、これからも存在するつもりである」と訳した方が、神様の自己紹介の正確なニュアンスを伝えることができるのです。そしてこのニュアンスから、「神様は存在することを意志され、未来永劫に存在し続ける方である」という真実を導き出すことができるのです。では、具体的に神様は一体どのように存在し、どのように存在し続けようとする方なのでしょうか。
実にそのことは、神様がモーセに語られた2つの約束の中に言い表されています。神様は①民をエジプトから救い出すとの約束において、自分が人間を苦難から解放する者として存在していることを宣言され、②民を乳と蜜の流れる地へ導き入れるとの約束においては、自分が人間を新しい祝福で満たす者として存在していることを宣言されていたのです。
神様は私たちを苦難から解放するために、また私たちに祝福を与えるために、今、存在され、またこれからも存在し続けてくださる方なのです。このことのゆえに、あなたは現実の苦難に恐れおののく必要はないのです。主に信頼して人生を歩み続けてください。そうすれば、必ずや主による解放の恵みと祝福があなたのもとに届けられますから。

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