結婚について

2022年5月22日(日) 第四主日礼拝

宣教者 山本弘夫伝道主事

マタイによる福音書 19章1~15節

イエスの一行はいよいよガリラヤを去り、エルサレムへと向かいます。そこへファリサイ派の人々がやってきてイエスに「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか。」と質問します。当時ユダヤ人の間には、離婚についての考え方に違いがありましたのでイエスを試しその論争に巻き込もうとしたと思われます。
確かにモーセの律法の書のひとつである申命記24章1節には「人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見出し、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し家を去らせる。」と書いてあります。
それに対しイエスは、創造論の原点である創世記を引用し「あなたたちは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。」、「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。従って神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」と答えます。
天地創造を語る創世記2章24節には、「24 こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。」と書かれています。この言葉を引用しての大原則としての答えです。
原則は原則として、現実の世界は個別に様々な事情があり、神の憐みと赦しのなかで認められる離婚もあると思います。しかし近年離婚の数は増大していますが、安易な離婚は赦されないことになります。
神の御心は、愛と憐みであり、正義と公平であり、赦しと和解による平和であり、善意と良心であり、感動と喜びであり、美しさです。結婚にもこの心を持って対応したいと思います。

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