2021年10月31日(日) 第五主日礼拝
宣教者 高見龍介牧師
創世記 11章31〜32節
本日はアブラムの父であるテラのお話を取り上げます。彼はもともとカルディアのウルに住んでいました。このウルという町は、バベルの町と並んで当時のメソポタミア文明の中心地であり、物質文明が栄え、さらには太陽神マルドゥクやら月神のシンやら、ありとあらゆる偶像礼拝が行われていた多神教の都市国家であったのです。そしてテラもまた、これらの神々を崇拝していた人物であったのです(ヨシュア記24:2)。ところが、ある日突然、彼はウルの町を捨て、一家を引き連れカナンの地に向かって旅立ちます(31節)。なぜ? それは、この町の物質的繁栄と偶像礼拝信仰に、彼自身嫌気がさしていたからであると考えられているのです。科学技術の発展により利便性が増したこの時代、人々は外面的な豊かさと繁栄、快適さを追い求めるあまり、その心は、どんどん自己中心に陥り、荒んでいったのです。しかも、人々の心を支えるはずの宗教も、堕落の一途を辿りました。当時信仰されていた太陽神マルドゥク、これはもともとバビロニア神話では創造神であったのですが、それがいつしか地位・名誉崇拝の対象となり、人々は地位・名誉を神として崇め、その獲得を目指して生きるようになったのです。さらには月神のシン、これは財産の神とされ、お金を神とする拝金崇拝も盛んに行われるようになっていったのです。しかし、テラはこれらの物質社会と宗教的堕落に幻滅を感じ、霊的渇きを覚えて、ひたすら真の宗教を乞い求めるようになったのです。この真の神を求め、救いを求めてきたテラに対し、神はこの時、「北北西に進路を取れ!そしてカナンの地に行け!そこであなたは私と会うことになる!」との御言葉、啓示、導きを与えられたと考えられるのです。そこで、テラはこの御言葉に即服従し、カナン地方に向かって出立していったというわけなのです。
神の恵みは、このテラのように真に神を慕い求めてくる者、救いを乞う者に臨みます。神の恵みは、決して人の業績や肩書によって与えられるものではないのです。それゆえ私たちも、このテラのように、日々、真に「主を求める信仰」に歩んでゆく者でありたいと願います。