ぶどうの枝のように

2021年11月7日(日) 第一主日礼拝

宣教者 岡村直子牧師

ヨハネによる福音書 15章4〜5節

10月から集って礼拝を行うことができるようになり、先月のNさんに続いて、本日はSさんの転入会式が行われる喜びの日となりました。送り出してくださったS
さんの古巣の教会に感謝しながら、新しい仲間を歓迎します。
今日は主イエスが言われた「わたしにつながっていなさい。」の“つながる”という言葉をキーワードとして、主イエスがそのように言われた意味と、つながっているとはどのようなことなのかについて聖書の言葉をとおして分かち合いたいと思います。
「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」(15章4-5節)
つながっていなさい、とイエスが言われたのは、人が“自分は主イエスにつながっていない”と感じることがあるからですし、つながっていたいという自覚的な意志が重要だということを示唆しています。思いがけず神を裏切る自分の弱さや罪深さに泣いたペトロに対して、復活の主キリストはペトロに言われた言葉を思いだします。「わたしを愛するか」と問われる復活の主キリストは、そのすぐ後に「わたしの羊を飼いなさい」と言われました。「わたしの羊を飼いなさい、世話をしなさい」という言葉がどうしてそこに続くのでしょうか? そこに、いまさらのようにハッと気付かされたことがありました。み言葉と聖霊の導きに感謝します。
イエスが十字架につけられ、死なれたのは、私たちがイエスとつながっているようにするためであることにいつも舞い戻って感謝する生活でありますように。

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