2021年8月1日(日) 第一主日礼拝(オンライン)
宣教者 高見龍介牧師
創世記 9章1〜17節
ノアが降り立った新天新地(神の国)は、自由で何をしてもかまわないという無法地帯だったのではありません。そこは、創世記2章で描かれていたエデンの園(神の国)と同様に、神の言葉と戒めによって律せられた「法と秩序の世界」であったのです。この法と秩序の支配を打ち立てる神の言葉に、私たちが従順に従っていく時にこそ、新天新地(神の国)、パラダイスが私たちの生の中に出現してくるのだと聖書は語っているのです。
このノアの場合、彼に与えられた第1の御言葉は、「産めよ、増えよ、地に満ちよ」でありました。神はノアに対し、まず「命」を産み出すことを命じておられますが、この「命」とは、すべて「愛」によって産み出され、育まれていくものであるがゆえに、この「命」の創造命令とは、「愛」に生きることを命じたものであったのです。そして第2の御言葉は、「被造動物のすべてを支配せよ」というものでした。この「支配」は、ヘブル語で「レドゥ―」と記されていますが、この言葉には「下る」、「下って仕える」という意味があるのです。すなわち神は、他動物(他者)に対し、へりくだって奉仕に生きることを命じておられたのです。そして最後に神は、「血を食べるな!」との戒め(律法)をノアに与えました。それは、神ですら勝手に食いつぶすことのできない尊い人の「人格」、「命」を、神の御心を踏み越えて身勝手に取り扱ってはならないということを命じておられたのです。以上、これらノアに臨んだ神の言葉と戒めに聴いて、私たちも「愛」に目覚め、隣人(他者、動物、自然環境)に対して振る舞い優しく「奉仕」をし、「命」への尊厳をもって、すべての関係性に生きてゆくならば、私たちの現実の生の中に「神の国」は実現していくのであり、繁栄と平和、永遠の命と祝福のパラダイスである「神の支配」の中に、私たちは永遠に住まうことができるのです。
私たちは、イエス・キリストの十字架(虹と弓の契約)によって、怒涛のごとく押し寄せた神の審判から救われ、いま新天新地に招き入れられているのです。この驚くべき恵みのゆえに、私たちの生き方は、何をやっても許されるだろうという生き方なのではなく、しっかりと神の言葉と戒めに聴いて、他者への「愛」と「奉仕」、「命の尊厳」に生きる生き方を選び取っていかなければならないのです。