いつも休んでいなさい!

2020年8月30日(日) 第四主日礼拝

宣教者 高見龍介牧師

創世記 2章1〜3節

人生を歩む上で、対人関係は避けて通ることができません。人間の本質である罪がうごめく人間関係の中にあっては、人は傷つき苦悩するだけです。この人生の課題を克服するためには、常に相手の立場に立って関係性を構築しようする愛が必要となるのです。しかし、もともと愛を持ち合わせていない人間が、この祝福の人間関係を構築していくためには、真の愛を持った方と出会い、この方の愛に感化される必要があるのです。そこで神は、そのことを実現させるために安息日を設け、人間にとってこの日が愛の生き方にリクリエーションされる恵みの時となるように、神の特別戦略特日として聖別されたのです。
では、私たちが愛の生き方に生まれ変わるためには、安息日に一体何をすればいいのでしょうか。それは、神との出会いの場である礼拝において、神の言葉に「聴く」ことが必要となるのです。神の言葉を「聞き」流すのではなく、しっかりと「聴か」なければならないのです。そのためには、心の状態を空っぽにする、無にする、休ませる必要があります。もし、聞く人の心に「聞いてやろう!」という思い上がりや傲慢な気持ちがあったり、それとは逆に「あーもうダメだ!問題解決は不可能だ!」という臆する心、不安や恐れ、絶望が渦巻いていたのなら、その人の心に神の言葉は入ってこないのです。しかし、それでは礼拝に出る意味がありません。なぜならば、礼拝で語られる御言葉を通して神の愛を知り、その人自身が愛の生き方にリクリエーションされていかないのであれば、いつまでたっても対人関係の中にパラダイスが実現していくことはないからなのです。
安息日とは主が安息されたことをいっているのではなく、実に私たちの心の状態のことを示しているのです。このことのゆえに、あなた方の心は「いつも休んでいなさい!」。全ての思い煩いや重荷を下ろし、傲慢を砕いて神に信頼し、神の言葉に聞き入ることが重要なのです。これこそが、イエス・キリストにあって神が望んでおられることなのではないでしょうか。

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