2020年3月1日(日) 第一主日礼拝
宣教者 山本弘夫伝道主事
マタイによる福音書12章9~21節
前回に続き、今回も安息日の定めに対するユダヤの宗教指導者のかたくなな解釈に対し、イエスが語るところから始まります。
イエスが会堂に入ると、そこに片手の萎えた人がいます。人々はイエスを訴えようと思って「安息日に病気を治すのは、律法で許されていますか」と尋ねます。それに対しイエスは、「あなたたちのうち、だれか羊を一匹持っていて、それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がいるだろうか。人間は羊よりもはるかに大切なものだ。だから、安息日に善いことをするのは許されている。」と語ります。
イエスはその人に「手を伸ばしなさい。」と言われ、手をのばしたその人の手は、もとどおり良くなります。
ファイサイ派の人々は出て行き、イエスを殺す相談をします。こうしてイエスの身に危険が迫ります。
イエスは行為の外形を形式的かつ詳細に定め、本来の目的、趣旨、意味を忘れた行き過ぎた安息日の律法を本来の趣旨にそったものに戻そうと語っております。
皆の病気をいやすイエスの後に大勢の群衆が従いますが、イエスは御自分のことを言いふらさないようにと戒められます。それは預言者イザヤが語った預言(イザヤ書42章)の実現であります。
「見よ、わたしの選んだ僕。わたしの心に適った愛する者。この僕にわたしの霊を授ける。彼は異邦人に正義を知らせる。彼は争わず、叫ばず、その声を聞く者は大通りにはいない。正義を勝利に導くまで、彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる燈心を消さない。異邦人は彼の名に望みをかける。」