2019年11月17日(日) 第三主日礼拝
宣教者 松藤一作先生
使徒言行録11章5~9節
信仰者にとって「祈り」はとても大切なものですが、信仰が無くても祈る人は少なくありません。「困った時の神頼み」という言葉があるように、人は、信仰心とは別の動機で祈ることもあります。では信仰者の祈りと、そうでない人の祈りに違いがあるとすれば、それはなんでしょうか? 今日は、イエスさまのことばから、私たちの祈りについてご一緒に考えたいと思います。
当時、ユダヤ教社会においては、祈りのことばを師から教えられることは常であったようです。バプテスマのヨハネもまた、その弟子たちに「祈り」を教えていたというのです。それを聞きつけたイエスさまの弟子たちが、イエスさまに「祈り」について教えて欲しいと懇願しました。こうしたことから、ヨハネの弟子たちとイエスさまの弟子たちの間には、ライバル心のようなものがあったのではないかと推察できます。
さて、イエスさまは、「祈るときには、こう言いなさい」と言って、こんにち私たちが《主の祈り》として祈っている祈りを教えてくださいました。この祈りは、当時のユダヤ教社会の中では類を見ないほど短いものだったと言われています。平行記事のマタイ福音書では、「くどくどと祈るな」とのことばがありますが、イエスさまの一貫した思いを読み取ることができます。 そんな《主の祈り》を教えたあとに、イエスさまが語られたたとえ話が今日の箇所です。夜中にしつこくパンを頼み込んでくる迷惑な友人。私たちの周りに、こんな友人がいたら、迷惑ですよね。でも…。イエスさまは、ここで私たちに何を伝えようとしているのでしょうか?