2021年4月4日(日) 第一主日・イースター・召天者記念礼拝
宣教者 高見龍介牧師
創世記 5章21〜24節
創世記5章の系図によれば、人の一生は、出生し、結婚をして子孫を残し、そして死を迎えるだけの、何か空しい一生であるかのように描写されているのです。しかし実際のところ、神は1節で人を祝福されており、その祝福から始まった人類の歴史、私たちの一生は、たとえ何が起ころうとも、途中で呪いや災いに変わったり、空しいままで終わったりするものではないのです。それというのも、イエス・キリストが、私たちの呪いや災い、空しさの根源である「罪」を十字架の上ですべて滅ぼし、神の祝福のみを私たちの人生に注いでくださった、いや今も注いでくださっているからなのです。このことのゆえに、私たちは地上の人生を恐れて不安に生きるのではなく、神が万事祝福してくださっている人生であることを確信して、希望を抱いて神と共に人生を歩んで行くべきであるのです。
さらに創世記5章においては、「神の祝福は、私たちの地上の人生だけに限定して与えられるものではない」という嬉しいニュースも報告されているのです。23節以下にはエノクの一生が記されていますが、彼の場合、「出生」、「結婚」の後、「死去」の部分だけが、特別に「神が取られたのでいなくなった」と表記されているのです。それは「神のもとに連れていかれたので、地上からいなくなった」という意味であり、そこには「神の人に対する祝福は、『永遠不変』なるものであるがゆえに、地上の生涯を終えても、なお神からの祝福に包まれるために、エノクは神のみもとに引き寄せられたのであり、それゆえ彼は、今も神の祝福の中にあって、神と共に生き続けているのだ!」というメッセージが込められているのです。すなわちこの24節では、神の祝福が「永遠」であるがゆえに、エノクをはじめとする私たち人間には、神からその「永遠の祝福」を受け取るために必要な、「永遠の命」がすでに備えられているということが述べられていたのです。しかし、死んでなおも神の祝福が私たちを包んでくださっているということは、まさしくイエス・キリストが復活の業によって、私たちの「神との断絶」である「永遠の死」を打ち滅ぼしてくださったからなのであり、実に神が1節で私たちに与えてくださった祝福とは、途轍もなく深く、尊く、永遠の恵みに満ち溢れているものであることが分かるのです。