水に流せないこと

2022年10月2日(日) 第一主日礼拝

宣教者 岡村直子牧師

マルコによる福音書 7章14~23節

一週間の夏季休暇をいただきまして、ありがとうございました。少しだけ最初に分かち合わせていただきます。聖書の箇所は9月11日にお話をした続きです。主イエスがファリサイ派や律法学者たち社会の指導者たちの偽善性を指摘した内容でした。神の言葉ではない、人間が作ったルールや言い伝えを、あたかも神の言葉のごとくにふりかざして、律法を自己利用していることに対して、イエスは大変厳しい言葉で批判なさいました。
今日読んでいただく14節からは、イエスの語りかける対象はファリサイ派たちではなく、群衆に変ります。律法や言い伝えを守る事で毎日必死に戦々恐々として義務を果たすように頑張り、おそらく疲れきっていたであろう人々に対して、イエスは神の目から見て何が本質的に大切な事なのかを教えます。「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」(7:15)と言われます。この意味がわからなかった弟子たちにイエスは、ストレートにこう答えました。「すべて外から人間の中に入って来るものは彼を汚し得ないことがわからないのか。なぜならば、それは彼の心の中に入るのではなく、腹の中に入って便所へと出て行くからだ」。(岩波訳聖書7:18-19より)
イエスはユダヤ人社会で重んじられていた律法の食物規定について、当時の人々が腰を抜かすほどの大胆なことを言われました。人間の心から出る悪い思いこそが人を汚すものだと言われます。水に流して知らん顔することができない類いの事に関しても、神は救われる道を準備してくださいました。

コメントは利用できません。