体も心もマッチョになろう!

2月20日(日)11時~12時  第三主日・2分の1成人感謝礼拝

宣教者 高見龍介牧師

ルカによる福音書 2章41〜52節

 

聖書に登場する人物で一番の力持ちは、おそらく士師記に登場するサムソンでしょう。彼はライオンを素手で倒したり、千人の敵を一人で討ったりと体力には相当恵まれていたようなのです。しかし、性格の方はというと、両親の言うことを聞かない、わがままなところがあり、体は鍛えていたけれども、心は鍛えていなかった人物であったと言われています。そんな心を鍛えていなかった彼の人生は、とても哀れで悲劇的であったとさえ言われているのです。
これに対し、少年時代のイエスは、「知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」(ルカ2:52)とあるように、背丈が伸びてたくましくなり、体力的にもたいへん恵まれていたというのです。しかも性格は、「両親に仕えてお暮しになった」(ルカ2:51)とあるように、彼の心は常に自分以外の人に向いていて、奉仕する思いに満ちていた。その鍛えあげられた心からは優しさと思いやりが溢れ出ており、だから彼は神様と多くの人々から愛され、幸せな少年時代を送ることができたのだと聖書は伝えているのです。つまり、イエス様が幸せな生活を送ることができたのは、心を鍛えていたからであったというのです。
では、「鍛える」とは一体どういうことなのでしょうか?「鍛える」とは、「ある自然な状態のものが、鍛える(トレーニングする)ことにより、質的な変化を生むこと」を言います。たとえば、自然状態では「痩せている体」でも、鍛えることによって、「筋肉隆々のマッチョ」に変えられていく、そのような質的変化を生む働きのことを指しているのです。つまり、心を鍛えるということもこれと同じで、もともと人の心の中にある「自己中心」、「わがまま」といった自然の状態が、鍛えあげられることによって、「他己中心」、「愛」という思いに変えられていき、その人の生き方に重大な質的変化をもたらすようになるということなのです。
サムソンとイエス様の対照的な歩みから言えることは、人は体力ばかりでなく、心を鍛え、「自己中心」から「愛をもって人に仕えていく生き方」に生まれ変わっていく時、人々から信頼され、愛され、祝福される人生を送ることができるようになるということなのです。ですから、皆さん!「体も心もマッチョになろう!」ではありませんか。日々鍛えることで、皆さんの自然体に質的変化を生じさせ、健康な体と愛の心を育み、本当の幸いを手に入れていっていただきたいと思います。

コメントは利用できません。