2021年6月20日(日) 第三主日礼拝(オンライン)
宣教者 高見龍介牧師
ヨハネによる福音書 5章9b〜18節
本日は「父の日」です。日頃から一家の大黒柱として一生懸命働いてくださり、たくさんの愛情を注いでくださるお父さま方に、心からの感謝と敬意を表したいと思います。
またこれと同じくして、生きとし生けるものすべての大黒柱として、日々、一生懸命私たちの命を守り導くために働いてくださり、たくさんの愛情を注いでくださっている天の父なる神様にも、心からの感謝と賛美を献げたいと思うのです。
しかしながら、私たちは時として天の父なる神様の不在を強く感じることがあります。どんなに祈っても問題は解決されない。どんなに待っても○○は与えられない…。創世記2章には、神様が安息されたことが記されていますが、あまりにも天父の沈黙が長く続く現状に、私たちは「ひょっとしたら、神様は未だに寝ておられるのではないか?それとも休暇を取られて、どこか旅にでも出かけてしまわれたのではないか?」との疑念を抱いてしまうことがあるのです。
しかし、神様は決して私たちのことをお忘れになる方ではないのです。主イエスが、安息日であろうがお構いなく癒しの業をされ、「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ」とおっしゃられたように(ヨハネ5:17)、天の父なる神様は私たちを永遠の命へと再創造するために不眠不休で働いてくださっているのであり、天地万物を創造されて以来、ひと時たりともまどろむことなく(詩編121:4)、無限の愛を私たちに注ぎ続けてくださっているのです。これが事実であり真実なのです。ですから、たとえ神様の助けが遅いように感じても信じて待つことが大切です(ハバクク2:3)。神様の私たちに対する祝福の業は年中無休で営まれています。そのことを信じ、天の父なる神様の愛に日々感謝しつつ、これからも歩んで行きたいものです。