2022年2月27日(日) 第四主日礼拝
宣教者 山本弘夫伝道主事
マタイによる福音書 18章1〜10節
マタイによる福音書には、イエスによるまとまった説教が五つ配置されています。本日からの18章はその四番目の説教です。
18章1節では、弟子たちがイエスのところに来て、「いったい、誰が天の国でいちばん偉いのでしょうか。」と質問します。世俗的な人間の社会を投影したような質問に聞こえます。
イエスは、一人の子どもを呼び寄せ彼らの中に立たせて、「はっきり言っておく。心を入れ替えて子どものようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。」と語ります。
そして、「自分を低くして、この子どものようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。わたしの名のためにこのような一人の子どもを受け入れる者は、わたしを受け入れるのだ。」と語ります。
一つ目は、子どもは親など大人に頼らないと生きて行けません。そうした状態であることにおいて謙遜な存在です。私たち信仰者が神を信じ神を頼りに生きる姿と共通しています。
そして子どもは概して素直です。子どものようになる人とはこのような人を指すと考えられます。
二つ目は、キリストを信じることにおいて子ども(子どもにたとえられる弱い立場の人などを含む)を受け入れる人はキリストを受け入れることになると語られています。
フィリピの信徒への手紙6章でパウロは、「神の身分であったキリストはへりくだって人間の姿となり、十字架の死に至るまで従順であった。それゆえに神は、キリストを高く上げあらゆる名にまさる名をお与えになった。」という主旨の言葉を語っています。