堕罪 治Ⅱ

2020年12月6日(日) 第一主日・第二アドベント礼拝

宣教者 高見龍介牧師

創世記3章14節~15節

アダムとエバを堕罪させた張本人であるヘビに対し、神は創世記3章14節~15節において裁きを下されています。ヘビとは、人に与えられた自由意志を象徴的に言い表したものですが、この自由意志が神の思いに向かって正しく、賢く用いられていれば、そこに秩序と祝福、命が生まれ、パラダイスの中を生きることができたのです。しかし、この3章においては、その自由意志が本能的に自分の思いに向かって、自分のために用いられてしまったために、堕罪と死、パラダイスからの追放を招いてしまうことになったのです。
私たちの心(自由意志)が、神の思いに向かうのか、それとも自分の思いに向かうのか、その選択は二者択一で紙一重、どちらを選んでも大差がないように思えますが、最後は命か
死かの重大で決定的な違いを生む結果となるので注意が必要です。そのことを3章1節で、ヘビは本来「賢く」(アルーム)あったが、ほんのわずかな自由意志のはき違え(誤用)の結果、14節では「呪われるもの」(アルール)になってしまったと表現しているのです。この「賢い」(アルーム)と「呪われる」(アルール)という言葉は語呂合わせになっており、ほとんど似たような言葉、紙一重の発音の違いにしか過ぎないのに、わずかな誤字(誤用)が最終的に雲泥の差を招いてしまうことになることを私たちに警告しているのです。
さて、私たちの心(自由意志)はどちらを向いているのでしょうか。神の思いに向かっているのか、それとも自分の思いに向かっているのか。たいした選択ではないかのように思えますが、その生き方次第で人生が決まるのです。賢さ(アルーム)か呪い(アルール)か。永遠の命か永遠の死か。どちらかになるということをしっかりと御言葉から受け止めて、心して人生を歩んでいかなければならないのです。

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