信仰のないわたしをお助けください!

2023年6月18日(日) 第三主日礼拝

宣教者 岡村直子牧師

マルコによる福音書 9章14~29節

「信じます。信仰のないわたしをお助けください!」(24 節)と主イエスに応答したのは、病を抱えた息子を持つ父親でした。この言葉は全ての人の神への言葉を代表して叫んでいる言葉として聞こえます。主イエスと3人の弟子たちが高い山の上で、将来の復活を先取りするような出来事を見聞きした素晴らしい出来事の後、山から下りて来て見ると、イエスの他の弟子たちが、大勢の群衆の中で律法学者たちと議論していたのでした。悪霊に取りつかれて苦しむ親子が、イエスの不在中に弟子たちにいやしを願ったけれどもできなかったのでした。苦しむ親子を置いて、議論に夢中になっている様子を見て、イエスは言われます。「なんと信仰のない時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。・・」の言葉は、読む者の心に刺さります。
そのように神の側が受入れられないほど罪深い人々を主イエスは見捨てなかったのです。苦しむ親子と対面して父親との会話が行われます。その息子は心も体も傷だらけだったでしょう。苦しむ子を持つ親として親もまた苦しみの人生を歩んで来たでしょう。色々な医者や評判の人の所へ行っては、いやされずに裏切られる思いで、希望を持つことができなかったと推測できます。それが、「おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助け下さい。」という父親の言葉となりました。それに対してイエスは言われるのです。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」 その言葉が父親の信仰が復活するきっかけとなったのでした。彼は息子がいやされてから、信じます。信仰のないわたしをお助けください。」と告白したのではありませんでした。事が起こる前に、神の言葉を聞いて告白の叫びをしたのです。昔も今も信仰のない時代です。しかし、神は祈りを聞いてくださる神なのです。招詞の詩編65編3節、4節にあるように、神の言葉に従わない自らの罪深さに圧倒される私たちです。けれども、神はご自分を犠牲にしてまで私たちを救ってくださる神なのです。神の恵みに感謝します!

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