ザアカイよ降りて来なさい!

2022年11月20日(日) 第三主日礼拝・こども祝福式

宣教者 高見龍介牧師

ルカによる福音書 19章1~10節

 

ザアカイはエリコの町で徴税人の頭をしていました。彼には地位も財産もあったため、この世的には恵まれた生活をしていたのです。しかし、当時の徴税人はローマ帝国の手先となって働いていたため、ユダヤ人たちから嫌われ、蔑視・排斥の対象となっていたのです。そのため、彼には友だちがおらず、また誰からも愛されず、存在否定と虚しさの中で一人寂しく生きて行かざるを得なかったのです。そんな時、風の噂で「徴税人の友」と聞かされていた人、イエスがエリコの町を通りかかったのです。ザアカイは群衆に弾き出されながらも、必死でいちじく桑の木によじ登り、「徴税人の友」であるイエスを探し求めたのです。このひたむきな求めが、イエスとの劇的な出会いを生み、彼は真のアブラハムの子として再生する奇跡を体験し、救いに与ることになったのです。
主イエスが地上に来られた目的は、失われた者を探して救うためです。つまり、失われたアブラハムの子を、もう一度、アブラハムの子として自覚させ祝福するためなのです。アブラハムの子とは、アブラハムと同じ信仰(神の愛への信頼)をもつ者、アブラハムと同じ業(隣人愛)をもつ者のことです。本来、私たち人間のすべては、このアブラハムの子でありながらも、現実の生活の中でそれを見失い、ザアカイのように罪に生き、愛のない世界でもがき苦しんでいたのです。
しかし、どんなに私たちが罪に汚れていようとも、私たちをアブラハムの子と信じてくださっている主は、ザアカイのもとに近づいて行かれ、さらには「自分の観念に縛られず降りて来なさい」との御言葉をかけ、無条件で彼をご自身の愛の内へと招き入れられたのです。そして、本来、愛に生きるべきアブラハムの子であることを彼に自覚させつつ、彼の生涯を祝福へと導かれたのです。私たちもザアカイのように、失われたアブラハムの子ですが、こんな私たちをも信じて近づいて来てくださり、憐れみをもって招いてくださる主の御言葉に従い、本当の平和と祝福を勝ち取って行きたいものです。

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