2025年2月2日
宣教者 岡村直子牧師
マルコによる福音書15章16節~32節
今日の箇所には、イエスが拷問を受け、侮辱された後、ゴルゴタまで十字架をかついで行かせられ、十字架につけられる場面が描かれています。十字架につけられる前に、多くの兵士たちから侮辱され、ゴルゴタという処刑場まで十字架を背負って引きずって歩かされました。途中で十字架を担がされた人が、後にキリスト教会で活躍した人たちの親だったことが示唆されています。
『それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、その服を分け合った、だれが何を取るかをくじ引きできめてから。』(15章24節)
イエスが十字架につけられたことが中心におかれておらず、兵士たちがイエスの着ていた服を分け合ったことのほうが大事であるかの様に記されています。読んでいて心が苦しくなるのは、イエスが十字架につけられたことだけでなく、そのことが何でもないことかのように扱われたと知るからです。ひどい侮辱を受けたことが書かれているからです。兵士たちや通りすがりの人々、そして祭司長や律法学者たち、一緒に十字架につけられた二人の強盗も含めて、十字架につけられたイエスを侮辱する様子が記録されています。
これが人間の姿です。その人たちが特別に無慈悲で残酷な人たちなのではなく、彼らの姿がすなわち私たち自身の本質を表しているのです。神がここまでへりくだって罪人として裁かれ死なれた意味を知るとき、その祝福の偉大さを思わずにはいられません。その祝福が自分に向けられているのです。この祝福に感謝して、祝福を受け継いでいる者としてどう生きていくのかを考えたいと思います。