三人の博士と律法学者たち

2024年12月22日
宣教者 高見龍介牧師

マルコによる福音書5章 1節~15節

 イエス・キリストがお生まれになった時代、ローマ帝国が世界を席捲し、その抑圧支配にユダヤの国のみならず世界中の人々が苦しめられていました。そんな折、ユダヤの国で古くから伝承されていた「ユダヤ人の王として生まれる神の子が、今ある苦境から自分たちを救い出してくださる」という「メシア思想」、これを待望する気運が世界各地で高まりつつあったのです。そしてこの気運に乗り、はるばるユダヤの国までメシアを訪ね求めにやって来たのが、東の国から来た博士たちであったのです。彼らは死と隣り合わせの危険な砂漠の旅をも恐れることなく歩を進めましたが、それは神の子がもたらす救いへの強い期待と希望が、彼らの心の内に存在していたからであったのです。

 この博士たちと同じくして、強いメシア待望を抱いていたのが、ユダヤの国に住む律法学者たちであったのです。彼らは博士たちの質問に答える形で、メシアが生まれる地をベツレヘムとミカ書から言い当てます。しかし、彼らは単にメシアの誕生地を言い当てただけなのではなく、その言葉には、彼らのメシアに対する強い期待と希望が込められていたのです。

 ミカの時代、ユダヤはアッシリアの脅威に晒され絶望的な状況に陥ったのですが、しかしミカは、小さな村ベツレヘム、何もないような所から救いが起こることを預言したのです。いかに現況が暗く厳しくとも、必ず夜明けの光が射し込むのだ!との希望を語ったのです。このことを熟知していた律法学者たちは、ミカの預言に自分たちの現況を重ね合わせたのです。今の時代はローマの脅威に晒され、苦しみと悲しみの暗黒の状況に置かれているが、ユダヤの小さな村ベツレヘムからメシアが現れることを確信して希望を語ったのです。すなわち、状況がいかに暗く厳しくとも、それはメシアが誕生する時までである。必ずや輝く明けの明星であるお方が現れ、自分たちを救ってくださるに違いないとの思いを込めてこの預言を語っていたということなのです。

 このようなわけで、律法学者たちもこの暗き世に来るべきメシアを待望していたのであり、そこには東の国から来た博士たちと共通する、メシアへの期待と希望があったのです。しかし聖書を読み進めてみますと、両者の間に決定的な違いが現われてくることに気づかされるのです。ひたすら救いを求めていた両者であったにもかかわらず、結果的に救われたのは、東の国から来た博士たちだけであったのです。では、なぜ博士たちだけが救われ、律法学者たちは救われなかったのでしょうか。本日はそのことを解き明かしてみたいと思うのです。

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