バベルの塔

new-mercies

2017年8月27日 第四主日礼拝

創世記11章1~9節

宣教者 : 富田愛世牧師

【一致のようなもの】

「世界中は同じ言葉を使って、おなじように話していた。」この言葉は聞き流せば、とてもすてきな時代があったように感じます。しかし、本当にそうでしょうか?私たちは聖書の中から、また社会生活の中から「一致」というものが美徳であるように感じてきました。正しく用いられている時は何も問題ありませんが、間違って用いられる時、とんでもない悲劇になるのです。一致のような「全体主義」が入り込むと悲劇が起こるのです。

【赤信号みんなで渡れば恐くない】

1980年代に「赤信号みんなで渡れば恐くない」という言葉が流行りました。この「みんなで」という言葉はとても恐い言葉です。「神への罪、みんなで犯せば恐くない」これが創世記11章の時代の人々の気持ちだったのです。人は人数が集まれば気が大きく(傲慢に)なってしまうのです。

【神への挑戦】

傲慢になった人々は「天まで届く塔のある町を建て、有名になろう」と言って自分たちを神と等しい存在にしようとしたのです。そして「全地に散らされることのないようにしよう」と言いました。一人では出来ないことが集団になると出来てしまうのです。一人で犯した罪は自分で責任を負わなければならないが、10人で犯せば十分の一になるような気がしてしまうのです。これがサタンの巧妙な手段の一つなのです。

【違うからいい】

神は言葉を混乱させ、人々を全地に散らされました。同じものが一つになることはたやすいことです。しかし、違うものが一つになるのは簡単なことではありません。神によって全地に散らされた私たちは、それぞれが違う存在とされたことに気付き、感謝することができるようになるなら、そこに神の国、神による一致を見る事が出来るのです。

コメントは利用できません。

Copyright 2017 日本バプテスト東京第一教会