わたしにできると信じるか

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2019年9月1日(日) 第一主日礼拝

宣教者 山本弘夫伝道主事  マタイによる福音書9章27節~34節
マタイによる福音書では、5章から7章にイエスの教えがまとめて書かれています。そして8,9章でそれを語ったイエスが何をなさったかがいくつもの奇跡の物語で語られます。
本日の箇所には二つの物語が書かれています。
一つ目は、二人の盲人の癒しです。二つ目は、悪霊によって口がきけなくなった人の癒しです。
二人の盲人はイエスの「わたしにできると信じるのか」との問いに「はい、主よ」と答えます。ただイエスをそのままに受け入れその恵みと力を知っているとの単純な内容です。自分は不確かな頼りない存在であっても自分が仰いでいる、頼みとしている存在は確かなものですから自分はその恩恵にあずかることができるとの思いです。
口がきけなくなった人の癒しでは、群衆は「こんなことは、今までイスラエルで起こったためしがない」と驚嘆します。しかしファリサイ派という、人は律法を守ることで救われると信じる人々は「あの男は悪霊の頭の力で悪霊を追い出している。」と冷たく語ります。ファリサイ派の人はただ律法を形式的、表面的、機械的に守れば良いという状態に陥いり律法の真の意味を見失っていたためこのような受け止め方になったと考えられます。
イエスの身代わりの十字架により私たちの罪は赦され、私たちは神と平和と祝福、恵みと幸いの関係で結ばれます。
救いは、立派な信仰でもなく、行いの実績でもなく、知識でもなく、ただ自分が頼みとする方の確かさと真実によって与えられると信じます。

 

 

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