2023年9月3日(日) 第一主日礼拝
宣教者 高見龍介牧師
創世記 25章19~28節
本日の主人公はイサクの妻であるリベカです。彼女は容姿端麗、心優しい愛の持ち主でありつつ、困難な時には主に祈り、常に主の御心を尋ね求める信仰的にも非の打ちどころのない女性でありました。しかし、このリベカ、キリスト教会では一般的にネガティブな評価を受けている女性なのです。それは一体なぜなのでしょうか? それは双子の弟ヤコブを偏愛していたからなのです。その偏愛ぶりは27章において詳細に描き出されていくことになりますが、そこでは祖父アブラハムから受け継がれていた神の祝福を、双子の兄エサウにではなく、何が何でも溺愛するヤコブに受け継がせるために、彼女は欺きの計画を首謀し、まんまと先祖伝来の1つしかない祝福を強奪してしまっているのです。その結果、兄エサウと弟ヤコブとの間に軋轢が生じてしまい、家庭内は大混乱に陥ってしまった…。この事件を引き起こした張本人として、彼女は長年に渡り高く評価されてこなかったということなのです。
しかし、本当に彼女は自己中心的な思いのみに生きる罪深い母親だったのでしょうか? いいえ!答えはNO!なのです。ではなぜ、祝福を掠め取るようなことをしたのでしょうか? それは、「兄が弟に仕える」と語られた神の言葉に忠実に従おうとしたゆえであったのです。この言葉に、神が選ばれた世継ぎはヤコブであり、ヤコブこそが人類救済のための使命の子であることを正しく受け止めた彼女は、それが実現されるためにふさわしい振る舞いをしただけに過ぎなかったのです。
このようなわけで、一見するとリベカのとった行動は偏愛による愚かな行動と捉えられやすいのですが、実は彼女が取ったこの態度こそが、神への真の信仰と呼べるものであったのです。真の信仰とは、誠実に神の御言葉に従うことですが、そこには一切の妥協や言い訳が入ってこないものなのです。しかし、私たちはよく神の御言葉に無理難題を感じると、妥協したり、言い訳を言ったりして、それに従わないことが往々にしてあるものなのです。そういう意味から言っても、このリベカの信仰は真に純粋で一途なものであり、結果的に主の御心である使命の子「イスラエル」誕生に大きく寄与したがゆえに、非常に秀たる信仰であったということが言えるのです。