おもてなし

2019年9月29日(日) 第五主日礼拝

宣教者 城倉由布子先生(東京女子大学キリスト教センター主事)

ローマの信徒への手紙12章9~21節

「お・も・て・な・し」-この言葉は、2020東京オリンピック招致ですっかり有名になりました。「おもてなし」の心や「礼儀」といったものが、日本文化独特の美徳のように語られることがあります。でも本当にそうでしょうか。
実は聖書の中でも「おもてなし」の重要性が語られているのです。重要性どころか「神さまからの命令」にも似たとても大切なことがらであって、キリスト教の特徴のひとつと言ってもよいものなのです。
聖書の中の「おもてなし」という言葉の語源のギリシア語には「見知らぬ人に友情を示すこと、愛を示すこと」という意味があります。「見知らぬ人」とは「旅人」や「寄留者」です。つまり外国からやってきた人たちのことです。また、「シングルマザー」「親のいない子ども」「体に障がいを持つ人たち」もまたもてなしの対象とされています。現代を生きる私たちにもとても身近な存在です。
私たちはどのような「おもてなし」ができるでしょうか。聖書の中には「おもてなし」を表すもうひとつの言葉があります。それは「給仕をする」という言葉です。気持ちよく食事をしてもらうために、相手のことだけを考えて行動し、仕えること、それが「おもてなし」の姿です。
イエスさまは、まさにその姿を私たちに示してくださったお方です。「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」とマルコによる福音書は伝えます。イエスさまは、社会から疎まれている人々、尊重されていない人々に声をかけ、病をいやし、必要にこたえ、食事を共にされました。
イエスのさまのそのような愛に応えて、私たちも人々を愛する者として派遣されていきましょう。

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