2018年11月25日 第四主日礼拝
マタイによる福音書7章21~23節
宣教者:山本弘夫伝道主事
本日の聖書箇所は「わたしの向かって『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。私の天の父の御心を行うものだけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに『主よ、主よ、わたしたちは御名によって予言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか。』というであろう。そのとき、わたしはきっぱりと言おう。『あなたたちのことは全然しらない。不法を働く者ども、わたしから離れされ』」です。
マルコによる福音書の13章にも同じような趣旨の話が出てきます。
一方、使徒言行録16章には「主イエスを信じなさい。そうすればあなたも家族も救われます。」という言葉があります。
ルカの23章では、イエスと一緒に十字架に架けられた犯罪人がイエスをののしることに対し、それをたしなめてイエスに「御国において私を思い出して下さい」と求めるもう一人に対し、「あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と語ります。いずれも行いは問われておりません。
聖書は聖霊の導きによって書かれておりますが、伝承を基に複数の著者や編集者により語られていますのでその表現は多様であります。
私たちは聖書の全体から聖書の語る言葉を読み取ることが必要です。
マタイの25章では世の終わりの審判のときは、飢えていたり、病気であったりした人に対して私たちがどのようにしてきたかという基準で天国に入れるかどうかが決められると書かれています。「この最も小さい者の一人にしたのは、私(神様)にしたのだ」との理由です。
「この最も小さい者の一人」に私たちが出会うとき私たちがどう行動するかが、「天の父の御心を行う」ことの大きな判断基準となります。