狭い門

2018年9月23日   第四主日礼拝

マタイによる福音書7章13~14節

宣教者:山本弘夫伝道主事

 本日の聖書の言葉は「狭い門から入りなさい、滅びに通じる門は広く、その道も広々としてそこから入る者が多い。しかし命に通じる門はなんと狭くその道も細いことか。それを見出す者は少ない。」です。

ルカによる福音書の15章には、「狭い戸口から入るように努めなさい。」という言葉が出てきます。ルカでは天国への正しい入口を見つけて手遅れにならないようにそこから入るように努めなさいとの警告と読めます。

それに対しマタイでは、狭い門と広い門の比較として語られます。

狭い門とは、安楽な道ではなく忍耐や努力を必要とする道に通じる門であると思います。

確かにこの世の処世訓としても妥当する言葉ではないでしょうか。

勉強でもスポーツでも芸術でもビジネスでも長期間努力を継続する人が成功を勝ち取る可能性が高いことは事実です。

しかしキリストがここで狭い門から入りなさいと語るのは、一般論として狭い門から入りなさいと言っているのではないと思います。

具体的に、今キリストが述べ伝えている神の国、救いの道への門から入りなさいという言葉であります。

キリストはヨハネによる福音書14章で「わたしは道であり真理であり命である。私を通らなければ誰も父のもとに行くことができない。」と語っております。狭い門とはこのキリストを信じて信頼し従って行く道の門であります。

さらに同15章では「人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていればその人は豊かに実を結ぶ。」と語っております。

キリストにつながる狭い門から入りたいと思います。

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