イエスのまなざし

2025年3月2日
宣教者 高見龍介牧師

ルカによる福音書22章31節~34節、54節~62節

 イエス様の一番弟子であるペトロでさえ、私たちと同じような失敗を繰り返しています。その極め付けが、イエス様が逮捕された時、「あんな人、知らぬ、存ぜぬ」の一点張りで、主との関わりを全面否定したことであったのです。自分大切さのあまりに主を裏切った姿は、何とも薄情であり、そこには人間の持つ弱さが浮き彫りにされているのです。

 聖書は、このような人間の罪を余すところなく描き出し、人間それ自体では決して愛を貫き通すことができない弱い存在であることを示します。しかし聖書は、その弱さだけを断罪して終わることをしないのです。否むしろ、その人間の弱さを赦し受け止め、なおも励まし支えつつ、共に歩んでくださる神様がいることを示すのです。ペトロも自分の弱さを知って一度は絶望しましたが、しかし、それで終わったのではありませんでした。彼のその弱さの中に注がれた「イエスのまなざし」に触れたことで、彼はのちに弱い者から迫害をも恐れない真の信仰者へと生まれ変わっていくことができたのです。

 ペトロの弱さは、私たちに何か「ホッ」とできる部分を与えてくれます。それと同時に、私たちが常にイエス様の「温かいまなざし」の中にあることを悟らせてくれるのです。私たちもペトロ同様に弱い器ですが、「イエスのまなざし」に触れることで、真の信仰をもつ器へと陶冶されて行きたいものです。

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