2024年7月28日(日)
宣教者 岡村直子牧師
マルコによる福音書12章35節~44節
マルコによる福音書を続けて読んでいます。主イエスの死までの最後の一週間の出来事が11章から描かれています。その多くの時間をイエスはご自分に敵対する律法学者や祭司長、ファリサイ派等の人々と対話をして彼らを教えました。イエスの死を狙う彼らに対して、イエスは逃げもせず対話を拒否せず神の子としてのご自分を現されました。
今日はイエスによる律法学者批判のエピソードが3つつながっている箇所を読んでいただきます。一つ目の場面では、イエスは律法学者たちの聖書理解の不十分さを指摘しました。二つ目の場面では、律法学者たちの具体的な生活の有り様が律法の内実とそぐわず、自分の利益を優先していることをイエスは厳しく指摘されました。そして三つ目の場面は、イエスは人々が献金する様子を見ておられて、多くの金持ちが多く献金する中で、貧しいやもめが2枚の銅貨を入れたことを取り上げて、弟子たちに対して誰よりもたくさん献金をしたのは貧しいやもめの献金だ、と教えるのでした。
「皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」44節
本日の宣教題を《人生を◯◯に賭ける》としています。この◯◯にあたる所に何をいれますか?と聞かれたら、皆さんは何と答えるでしょうか?
もし律法学者だったら、《人生を神に賭ける》とか《人生を律法を守る事に賭ける》と自信を持って即答するでしょう。建前はそうでしょうけれども、今日の箇所で主イエスから手厳しく断罪されているように、内実は《人生を名誉欲に賭ける》とか《人生を金に賭ける》となっているかもしれません。
私たちも律法学者と変らない者です。しかし違うのは主イエスの死と復活により、罪赦された者となっていることです。気付いた自分の足りなさに泣き、神に赦しを求める生き方が与えられていることを感謝します。