2022年7月3日(日) 第一主日礼拝
宣教者 高見龍介牧師
創世記 15章1~6節
アメリカ先住民の説話に次のようなお話があります。「いくつもの障害を乗り越えてきた川が砂漠にたどり着いた。川はこの砂漠を横切ろうとしたが、川の水は砂地に吸い込まれるだけで、決して横切ることができなかった。その時、『風にゆだねよ』との声がした。川は『どうして風のように空を飛ぶことができましょうか』と反論した。しかし、また『風にゆだねよ』との声がした。川は今度は『私は川のままでいたい』と言い切った。すると声は言った。『お前は自分の本質を忘れている。本質になれば、お前は砂漠を横切ることができ、そして再び川になることができる』と言った。この時、川はかすかに遠い昔、風に抱かれていた記憶がよみがえった。川は灼熱の太陽のもと蒸気となって自分を風にゆだねた。風は懐に蒸気を抱いて、砂漠を横切って行き、山にたどり着いた。そして、そこで雨を降らし、雨は水となり、水は再び川となった」。砂漠は死の象徴でもあります。自らの死、愛する人の死に直面した時、人は無力です。これまでのどんな履歴も、すぐれた社会的業績も、名誉も地位も権力も、財力もひとたまりもなく死に吸い込まれていきます。それによって死を横切って行く人はいないのです。 (友納徳治著『季節の中で』より)
私たちが、人生において直面する「砂漠」。しかし、そのような絶望的状況の中にあっても、天からの声に耳を傾け、自分の本質に気づく人は幸いです。そのような人は、いかなる過酷な状況下にあっても、それを克服し「永遠の命」、「天の国」に生きることができるからです。
天からの声であるイエス・キリストは、今でもあなたにこう語りかけています。「困難な時、絶望を味わった時、私を仰げ。お前の本質は、私の子、私の栄光の器なのだ。自分の信仰、自己執着を捨て、私にゆだねなさい。そうすれば、神の子ども、神の栄光の器として「義」に生きることができる。砂漠の現実に対しても、全き勝利を勝ち取り、天の国に入ることができるのだ」と。