2021年10月3日(日) 第一主日礼拝
宣教者 高見龍介牧師
創世記 11章1〜4節
みなさんは「人間の正体」を知っておられるでしょうか? 人間のことを、ギリシャ語で「アンスローポス」と言います。その言葉には「見上げる者」という意味があるのです。この言葉は、「アナ」=「上に」という言葉と「プロスオーポン」=「顔」という言葉の二語からなる合成語であると言われています。そして、この言葉の中にこそ「人間の正体」が語られているのです。すなわち人間とは、常に顔を上げて生きる生き物であり、うつむく、下を向く、屈むという気持ちに反して、「下を向いてなるものか!屈してなるものか!上を見上げるのだ!上を目指すのだ!」という心持ちに生きる生き物であるということなのです。
人間が他の動物と違って文明をもつようになった理由。それは「屈んで生きたくない!」という欲求が人間の心の中にあったからであると言われています。そのような欲求・願望がついに人を立ち上がらせ、二本足で歩行させた。そして自由に使えるようになった手で、あれこれ創作し、器用さを身に着け、それと並行して脳も発達していったのだと生物学的には解釈されているのです。さらに世界四大文明の誕生も、川の氾濫などの困難な自然環境との戦いの中で、「困難に屈してなるものか!上を目指して生きるのだ!」という人間の向上心が知恵を生み出させ、それがついに土木・建築技術の進化となって文明を誕生させることができたのだと歴史学的にも解釈されているのです。
このように人間が進化することができたのは、単なる偶然なのではなく、神様が人間を向上する生命体として意図的にお造りになっていたからなのです。神様の意図からすれば、人間は苦境に打ち沈み、うつむいたまま滅んでゆく存在なのではなく、常に上を見上げ、神様を求め、神様との融合を目指して生命を進歩させ、困難を突破していく生き物であるということなのです。このようなわけですから、私たちも困難な状況に取り囲まれ、八方を塞がれた時には、唯一開いている天を見上げ、神様の助けを請いながら人生を歩んで行きたいものです。