神のおきてと人の言い伝え

2021年4月25日(日) 第四主日礼拝(オンライン)

宣教者 山本弘夫伝道主事

マタイによる福音書 15章1〜9節

イエスがガリラヤで伝道を開始し、苦しむ人々を救う多くの力ある業を行い、人々の注目を集めていることがエルサレムにも届いたのでしょう。自分たちの立場を損なわないか心配したパリサイ派の人たちや律法学者といった宗教家たちがエルサレムからイエスのもとにやってきます。
彼ら宗教家にとって、食事の前に手を洗うことは宗教上の規則になっていました。ところがイエスの弟子たちがそれを行っていないことを見つけます。そしてイエスに「あなたの弟子たちはなぜ昔の人の言い伝えを守らないのか」と質問します。
それに対しイエスは、「なぜ、あなたたちも自分の言い伝えのために、神の掟を破っているのか。神は『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っておられる。それなのに、あなたたちは言っている。『父または母に向かって、“あなたに差し上げるべきものは、神への供え物にする”と言う者は、父を敬わなくてもよい』と。こうして、あなたたちは、自分の言い伝えのために神の言葉を無にしている。」と語り反論します。「父を敬わなくても良い」とは、自分の財産は、神に捧げたものだからそれを変更してあなたに差し上げることはできないという意味です。
律法はもともとモーセ五書(律法の書、トーラー)に書かれています。それをもとに当時の宗教家たちは、施行令、施行細則のような形で後からこまごまと規則を加えました。そしてそれを厳密に守ることが、宗教の目的であるかのように考え人々にもそれを要求しました。
イエスは、律法は本来神の御こころを行うことを目的とするものであり、そこに立ち戻るよう求めます。

 

 

 

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