2020年9月20日(日) 第三主日礼拝
宣教者 岡村直子牧師
出エジプト記 20章1〜17節
「紀元前13世紀頃、神と人との契約・ちぎりが、モーセが率いる共同体に与えられました。十戒(十の言葉)です。最初の信仰共同体への神の言葉です。神は十の言葉を契約の言葉として与えました。今日、注目するのはその前文です。「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。」(20章2節)“だから”という言葉をその後に補って十の言葉を読むと意味合いが明確になります。
今から3300年も昔の出エジプトの記事をここで読むことに何の意味があるのでしょうか。私たちは民族が違うし、国を取られて他国の奴隷になったこともないし、自由なものとして生きてきたし、関係ない話しだと思うでしょうか。神はその時代も今も生きて働かれる同じ神です。そして古代の聖書の人々と今の時代の私たちは、神に背く罪を犯すものであるという共通点があります。「罪を犯すものは、罪の奴隷である」(ヨハネ8章34節)とイエスは言われます。どこかの国の奴隷になったことはなくても、人間は罪の奴隷であるとイエスは言われます。昔のイスラエルの人々が神によってエジプトの奴隷状態から救い出されたように、イエス・キリストによって人が罪の奴隷状態からの救われる救いが実現しました。キリストを信じる信仰によってのみ人は救われる、という新たな契約の時代に入りました。神の側の全く一方的な愛による救いです。イスラエル民族の歴史をたどることも、今の恵みを知ることにつながります。神の戒めの言葉がなかったら、人は罪を認識できなかったでしょう。十戒や律法の類いは、人をキリストのもとへ導く養育係という役割を果たしているのです。