2020年5月10日(日) 第二主日
準備者 山本弘夫伝道主事
使徒言行録 2章1節~13節
ハレルヤ、主の御名を賛美いたします。
「聖書教育」の本日の箇所から聖書に聴きます。
本日の聖書箇所のはじめは、「1五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、」です。
五旬祭は、五旬節ともペンテコステとも言います。過ぎ越し祭り、仮庵の祭りとともにユダヤの三大祭りのひとつです。過ぎ越しの祭りから50日後に行う祭りです。
イエス様の十字架と復活は、過ぎ越し祭りの時ですから、ペンテコステはそこから50日後の出来事です。復活したイエス様は40日間この世にとどまり弟子たちに現れたとありますからイエス様が天に昇られてから10日たった頃です。
過ぎ越しの祭りの始まる日は、月の満ち欠けで決まる太陰暦に基づきニサンの月の14日の満月の時です。そのため太陽暦を用いる私たちの暦では、その年によって日にちが異なります。イースターとペンテコステは共に移動祭日であると言われます。
ペンテコステは、今年は5月31日(日)です。
五旬祭の日に、イエスの弟子たちは、「一同が一つになって集まっていた」とあります。神殿に集まっていたのだと思われます。
2節では、「2突然、激しい風が吹いて来るような響きが聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた」とあります。何か大変なことが起こる予感がします。「そして炎のような舌が分かれ分かれに現れ一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国の言葉で話し出した。」
ここで驚くべき目に見える形で弟子たちのうえに聖霊がくだったという現象が語られます。
「一同が一つになって集まって」とか、「炎のような舌が」とか、「一人一人の上に」という言葉が並びます。
「一同が一つになって」とは、イエスの弟子たちがまとまりある関係性をあらわしていたことが示されます。
ここで聖霊のご性質が語られますが、一つ目は、「炎のような」です。炎のような熱い情熱、燃えるような思いをあらわしているのではないでしょうか。
そこには、大きなエネルギーを感じます。何事かをなしとげさせるエネルギーがあります。普段は感じることはできないかもしれませんが、聖霊はその秘めたエネルギーによって、必要なときに私たちを助けて下さると信じます。そして私たちの指導力の源泉です。
二つ目は「舌」という言葉です。舌とは、言葉の象徴ではないでしょうか。聖霊は私たちに言葉を与えて下さることが示唆されます。言葉には、単なるコミュニケーションの道具であること以上の意味があります。天地創造において、神が「光あれ」と言葉を発することで光がありました。ヨハネによる福音書の出だしは、「はじめに言葉があった」です。この言葉がキリストであったと語られます。神の言葉にはものごとを生み出し創造する力、形成する力があると考えられています。言葉とか観念は大切なものです。聖霊の働きの一つはこの言葉であることが示されます。私たちは、自分が語る言葉を大切にしなければなりません。
三つ目は、「一人一人のうえに」です。私たちは十把一絡げに扱われるのではなく、一人一人がきっちりと覚えられ大切にされます。
こうして一同は、聖霊に満たされ、霊がかたらせるままに、ほかの国々の言葉で話し出します。
諸国に散らばって住んでいるユダヤ人が大勢いましたが、その中で現在はユダヤに戻っている人、またこの日のためにはるばるエルサレムにやってきた人が一緒に集まっていました。この日はユダヤの三大祭りのひとつである五旬祭、ペンテコステの日であるからです。
この人たちが、イエスの弟子たち一同の上へ降る聖霊降臨の出来事を目撃します。そして自分たちが生まれ育った故郷の言葉を弟子たち一同が話していることに驚きます。
7節からは「7人々は驚き怪しんで言った。『話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。8どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。9わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラスからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア10フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビヤ地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、11ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビヤから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。』12人々は皆驚き、とまどい、『いったい、これはどういうことなのか』と互いに言った。」です。
これらの地名を地図で確認することは興味深いことです。当時ユダヤ人はこのように広い地域に散らばってそれぞれの地にコミュニティーを作ってくらしていたのです。この人たちはこの聖霊降臨のできごとに驚き、不思議な思いにかられます。
最後は13節の「13しかし、『あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ』と言って、あざける者もいた。」です。人間には様々な見方、考え方があります。
この出来事の記述に関してバークレーは、こう解釈しています。
「ここに生じた出来事は、この種々雑多な人々が、一生のうちではじめて、自分たちに理解でき、まっすぐ心に入ってくるやり方で、神の言葉を聞いた、ということである。」です。
神のことばが、人々に良く理解される分かり易い言葉ではじめて語られたことを伝えているのではないかとの解釈です。
このペンテコステのできごとは、教会の出発点であり、教会の誕生日であると言われています。
使徒言行録は、聖霊の働きの記録であります。聖霊の導きの記述が沢山でてきます。そしてその働きは現在の教会に続いています。教会は聖霊の働きによって生まれたもの始まったものですから、聖霊の働きによって維持され発展して行くものです。聖霊は一人一人に賜物を与えて下さいます。教会にとって聖霊の働きは欠くべからざるものであります。 祈り・・・