風と共に去りぬ

2021年7月11日(日) 第ニ主日礼拝

宣教者 高見龍介牧師

創世記 8章1〜22節

ノアが箱舟に乗り込んだ時、主はノアの後ろで箱舟の戸を閉ざされました。これ以降、ノアは「出るに出られぬ籠の中の鳥」となり、船内にいた地上のありとあらゆる動物たちと共に、窒息しそうなほどの八方塞がりの状況下に閉じ込められてしまったのです。加えて、取り付けてあった明かり窓は、大雨のため全て閉ざされていたため、船内には全く光が差し込んでこない状況が続き、さらに箱舟は、洪水による激しい流れに翻弄されたため、ノアは暗黒と恐怖の中で激しく揺さぶられ続けていくことになったのです。
このようにノアにとっての箱舟生活は、決して快適なものだったのではなく、むしろ八方塞がり、闇、動揺、さらには審判の恐怖、孤独感を味わわされた苦難の極みの時代となったのです。結局150日間、ノアはこれらの苦難にさらされましたが、それでもこの苦しみを苦しみで終わらせないのが主であったのです。主は、箱舟の中にいた生きとし生けるもの全てを「御心に留められ」、彼らのために風を吹きつけて困難の洪水を退けてくださったのでした。
このノアと同じように、私たちも困難の洪水を自力で退散させたり、打ち砕いたりすることはできません。ただ洪水の恐怖に怯え、箱舟生活の困難さに翻弄され続けるだけなのです。しかし、主はご自身の霊をもって、私たちの地上の現実に風を吹きかけてくださり、私たちを恐怖のどん底に叩き落す困難の洪水を打ち砕いてくださるのです。このように主は、私たちを新天新地に招き入れるために、ご自身の存在そのものを駆使して、私たちに奉仕をしてくださる方なのです。洪水物語から言えることは、たとえ私たちがいかなる困難の中におとしめられても、主は御目を私たちに注いでくださり、愛をもって霊の奉仕をしてくださり、救いを与えてくださるということなのです。この主の愛を信じ、祈りつつ、主からの息吹に生かされて日々を歩んで行きたいものです。

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