2024年11月17日
宣教者 高見龍介牧師
ヤコブの手紙1章12節~18節
人間は他の動物と違って「絶望」する生き物と言われています。人間は絶望します。それの成れの果てが自死なのです。しかし、動物は決して自殺しません。なぜ? それは絶望しないからなのです。現代日本社会において、毎年2万人を超える自殺者がいます。その原因としては、経済的な問題(借金苦)、いじめ、リストラ、生きがいの喪失等々、最近では過重労働を苦に自殺など、その理由は幅を広げています。しかし、人間は本来、絶望する生き物ではないのです。それは「人」という言葉(漢字)の成り立ちからも、そのようなことが言えるのです。
諸説ありますが、日本語で人とは、「一つとなる者」という意味があるようです。すなわち、人は自分以外の人に支えられることによって、一つの生きた存在となるのであり、そこには、常に助け合い、分かち合い、親しい交わりがあるゆえに、絶望は存在しえないという意味が込められているようなのです。まさしくその通りだと思いますが、牧師である私の解釈は少し違っています。一人の人がもう一人の人に支えられている「人」という漢字、支えられているのは自分であり、支えている方の人は神であると解釈するのです。その逆はあり得ません。なぜなら、全知全能の神が人に支えられることなど絶対にあり得ないからです。
私たち人間は、この神によって常に支えられ、助けられ、守られて存在しています。ですから、私たちには絶望がないのです。私たち人間は、本来、この神との関わりの中にあって希望に生きる者とされている。本日は、そのことを聖書の御言葉から解き明かしてみたいと思うのです。