2020年3月15日(日) 第三主日合同礼拝
宣教者 内藤幹子先生
ルカによる福音書20章9~19節
本日の箇所「ぶどう園と農夫のたとえ」は、我々にとってそれほど理解に苦しむような筋書きではないかも知れない。短い物語ではあるが、旧約から主イエスの十字架までの物語を凝縮したらこのような筋書きになると言えよう。「ぶどう園の主人」は「農夫」たちの心の奥にある良きものに何度も期待するが、結果は散々なものであった。
当時、主イエスの周りでこのたとえ話を聞いていた人々は、今、このように聖書を読んでいる我々以上に生々しい感覚をもって、その言わんとするところを受け取ったことであろう。とりわけ一般の人々は、「神の民である自分たちが受け継ぐべきもの」が取り上げられると聞き、「そんなことがあってはなりません」(16節)と言った。
主イエスはそのような人々を憐れみと愛を込めたまなざしでじっと見つめられた。あなたがたも実は「農夫」であるのだ、と。そのあなたを愛し、あなたを神のふところへ取り戻すために、わたしはこれから十字架で死んでいくのだ、と。
更に主イエスは「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石になった」(詩編118:22の引用)という言葉をご自分に重ね合わせるようにして語られた。石が捨てられる、これは「受難」の予告である。しかしその先に、主イエスご自身が要石となる「新しい神の家」の希望があり、「教会」はその成就である。建物のあらゆる部分が頂上にある「隅の親石」を見上げ、それが全体を確実につなぎ合わせてくださっていると信頼するなら、どのような困難や苦労の中でも「教会」が揺らぐことはない。