“迷惑をかけない”にまさること

2021年2月14日(日) 第ニ主日礼拝

宣教者 岡村直子牧師

マルコによる福音書 2章1〜12節

土曜日に送られて来る週報と宣教原稿を用いて礼拝に参加される方もオンラインで礼拝をされる方も共に、今日も心を合わせて礼拝できますことを感謝します。マルコによる福音書を続けて読んでまいります。今日の箇所は、見出しに〈中風の人をいやす〉と書かれています。中風は、脳の血管障害(脳卒中)によって半身不随や麻痺、言語障害などを起こす病です。結局はイエスによって中風の人が罪ゆるされ、いやされた、ということなのですけれども、この箇所から、律法学者たちがイエスの言動に対して、神を冒瀆している者だと注目し始めたことがわかります。イエスが罪を赦す権威を持つ神と同格のお方であることなど誰も知らない時ですから、彼らの批判は当たり前のことでした。今日は中風の人を助けてイエスの御前に連れて来た人々に焦点を当てたいと思います。中風の人は全く受け身のままです。イエスのもとにその人を連れて行ったのは四人の人たちでした。彼らはイエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろしたのでした。この場面を想像してみるとこの人たちの行為は多くの人々が集ってイエスの話を聞いている集会全てを中断させてしまう大迷惑なことだったということがわかります。しかしイエスは黙ってその行為に信仰を見て言われます。「子よ、あなたの罪は赦される」。この言葉が大きな問題になっていくわけですが、今回は四人の人々の行動が多くの人々に迷惑をかけるものであったにもかかわらず、イエスが批判もしないでその願いをかなえられたことに注目します。とかく日本の文化の中で育てられた人々は、人に迷惑をかけないということを金科玉条のようにして生活しますが、それが不幸を引き起こすこともあります。イエスが大迷惑をかけられることよりも他者を助けたい思いで行動した人々を認められたことの中に、神がどのような方であるのかが示されています。この神が共におられます。感謝!

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