迷い出た羊

2022年3月27日(日) 第四主日礼拝

宣教者 山本弘夫伝道主事

マタイによる福音書 18章10〜20節

まず、12節は、「あなた方はどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。」です。そしてその羊が発見されたとき「迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。そのようにこれらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたたがたの天の父の御心ではない。」と書かれています。
神様から見て私たち一人一人はかけがえのない大切な存在であって一人も欠けてはならないことが示されます。
神は、迷い出てしまいそうな私たち一人一人を捜し求め、救いの恵みの内からこぼれ落ちないように守り、助けて下さいます。
15節からは、罪を犯した兄弟が立ち直るための忠告の方法について書かれています。放置しないできちんと忠告することが前提です。まずは、二人だけのところで、それでもだめならほかに一人か二人を一緒に連れて、さらには、教会へ申し出るようにと語られています。
これは何よりも忠告が必要とされる本人のためです。自分自身がそうした忠告を受けなければならない、忠告が必要な人間かもしれません。
19節からは、「また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれあなたがたのうち二人が地上でこころを一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。」です。嬉しい言葉です。
20節からは、「二人または三人がわたしの名前によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」です。二人または三人が神の名前によって集まるときそこに神がおられます。ここに教会が生まれます。
その教会はどんな大教会に対しても劣るものではありません。

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