見ないのに信じる人の幸い

2020年4月19日(日) 第三主日 (礼拝中止)

準備者 山本弘夫伝道主事

ヨハネによる福音書20章19〜29節

本日も「聖書教育」の本日の箇所から聖書に聴きます。
復活したイエスは、40日間この世にとどまり、その後天に昇ります。
本日の箇所は、復活したイエスが弟子たちにあらわれたところです。
まず、ヨハネによる福音書20章19節から「19その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちの家の戸に鍵をかけていた。そこへイエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。20そう言って手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。21イエスは重ねて言われた。『あなたがたに平和があるように』」
これは、イエスが復活した日曜日の夕方の出来事です。弟子たちはユダヤ人を恐れて家の戸に鍵をかけ集まっていました。
そこへイエスが来て真ん中に立ちます。復活後のイエスは普通の体ではなく霊の体であることがわかります。
イエスは、刺された傷のある手とわき腹とを見せ、「あなたがたに平和があるように」と2回語ります。これは祝福の言葉です。
鍵をかけて不安のなかにとじこもっていた弟子たちにイエスからの平和の祝福がとどきます。
さらにイエスは語ります。21節後段「『父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。』22そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。『御霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。23だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ赦されないまま残る。』」
ここでイエスはご自分が父なる神から遣わされたように、あなたがた弟子たちを遣わすと語ります。
彼らに息を吹きかけ、聖霊を受けなさいと語ります。
創世記に神はアダムを創りその鼻に命の息を吹き入れられたと書かれていることを思い出します。
イエスは、弟子たちに聖霊を与えます。そして伝道の使命を授けます。
伝道のためには、その前にイエスから聖霊を受けることが必要であることが示されます。
弟子たちには使徒としての伝道の使命感が呼び覚まされます
弟子たちは「だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ赦されないまま残る」と大変な権限を授かります。
神の聖霊を受けてその導きを受けなければとても担える役割ではありません。
次にトマスが登場します。「24十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。25そこで、ほかの弟子たちが、『わたしは主を見た』と言うと、トマスは言った。『あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れて見なければ、わたしは決して信じない』」
トマスは信仰が足りないのではなく、ただ、証拠を重んじる慎重な態度から出た言葉です。
続いて26節からは、「26さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。27それからトマスに言われた。『あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。』」です。
ここで八日の後と表現されているのは、イエスが復活した日曜日の次の日曜日であります。日曜日ごとに復活の主は現れ、弟子たちは主に出会うことが出来ました。
毎週日曜日に主に出会うために礼拝を行うのは、ここから始まっております。
本当に復活の主に出会ったトマスは、もはや手の釘の跡を見る必要も、手をわき腹に入れる必要もなくなりました。
28節からは、「28トマスは答えて『わたしの主、わたしの神よ』と言った。29イエスはトマスに言われた。『わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は幸いである。』」です。
「わたしの主、わたしの神よ」とは正にトマスの信仰告白です。
ヨハネによる福音書は、この信仰告白へと人々を招くために書かれています。
イエスは、復活の40日後に天に昇られましたから、私たちはイエスの姿を見ることはできません。
しかし信仰によってイエスに出会うことができます。
ヘブライ人への手紙11章1節から「1信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。2昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。」と書かれています。
ローマの信徒への手紙8章24節では、「わたしたちは、このよううな希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は、希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。25わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。」と書かれています。この世にある目に見えるものは移り変わって行きます。しかし世界には目には見えない普遍の真理、永遠の真理があります。
私たちはこの真理を信じて歩みたいと思います。

(祈り)
イエスキリストの父であり、私たちの父であります神様の御名をあがめて感謝いたします。
私たちは目に見えるものだけでなく目に見えない真理を見上げて歩むことができますように。この祈りをイエス様のお名前をとおしてお捧げいたします。

 

コメントは利用できません。