2021年10月24日(日) 第四主日礼拝
宣教者 山本弘夫伝道主事
マタイによる福音書 16章21〜28節
本日の聖書箇所は、「このときから、イエスは、ご自分が必ずエルサレムに行って長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。」との言葉から始まります
そんなことがあっては大変です。ペトロはイエスを「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」と言っていさめます。
それに対しイエスは、「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」と厳しいことばで叱責します。そして弟子たちに対して「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」と語ります。
厳しい言葉です。イエスが十字架につけられるというこの状況下で弟子たちに要求される心構え、弟子でありつづけるために必要な覚悟を語ったと思われます。
しかしこの言葉は、状況は大きく異なるかもしれませんが、現在の私たちにも必要な心構えであると思います。
背負うべき「自分の十字架」とは何かは人それぞれに問われます。
私たちは、自分自身は神が私たちに求める姿に対して全く不十分で足りない存在であることを感じざるを得ません。
しかしその足りない部分、ギャップを埋め合わせて下さるのが、十字架の贖いによる神の大いなる愛と赦しと恵みであると信じます。
自分を捨てる(古い自分に死ぬこと)ことにより神とともにある新しい命、真実の命、永遠の命に生きたいと思います。