2017年4月30日 第5主日礼拝
マタイによる福音書5章21~26節
宣教者:山本弘夫伝道主事
「人を殺してはならない」は、モーセの律法にある重要な掟です。人を殺すという、行為の外形を定めるこの掟に対してキリストは、「しかし私は言っておく」との前置きのもとに、「兄弟に腹を立てるものはだれでも裁きを受ける」と語ります。腹を立てる行為が人を殺すことにつながるものをもっているとの洞察でしょうか、腹を立てること自体に警告を与えます。
世の中の不公正や不正に対する怒りは別ですが、自我に基づく私的な利己的怒りは、神に嫌われるものです。
人に「ばか」ということ、「愚か者」ということにも警告が発せられております。
「ばか」とは、人を軽蔑する言葉であり、「愚か者」とは人に不道徳のレッテルを貼る言葉であります。
さらにキリストの警告は続きます。「祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したら、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。」と語ります。
人との争いの和解、悔い改めによる過ちの修正がまず必要で、そのうえで祭壇に献げるのでなければ神に喜ばれることはないとの言葉です。
また、「自分を訴える人と裁判所へ向かうとしたらその途中で早く和解しなさい」と語られます。
人間は弱く、愚かで不完全なものです。戒めを守る力に欠けております。しかしこの人間を救うためにキリストは来て下さったのです。古い自分が十字架上で死に、復活のキリストと共に新しい命、キリストの命に生きる時、罪に打ち勝つことができます。