
2025年3月30日
宣教者 高見龍介牧師
マタイによる福音書27章3節~10節
「イスカリオテのユダ。このユダはイエスを裏切った者である。」マタイ10:4口語訳
イエス・キリストの受難の歴史に大きな役割を演じたのが、十二弟子の中の一人イスカリオテのユダであったことは、みなさんもよくご存知のことだと思います。この「ユダ」という名前には、「神の讃美」という美しい意味がありますが、それなのになぜ彼はイエスを裏切り、新約聖書中「最大の罪人」と蔑まされるまでになってしまったのでしょうか。
ユダがイエスを裏切った理由には様々な学説があり、謎が多いわけですが、その有力な説として、「ユダが会計係をしているうちに(ヨハネ13:29)、金に心を奪われるようになってしまい(ヨハネ12:6)、この世の富に人格を破壊されてしまったから」というのがあります。「ユダは金銭を愛することを戒められたイエスの教えに悩まされ、ついにはイエスを憎むようになり、裏切り行為を働いてしまった」というのです。さらに有力な説として、「ユダは『イスカリオテ』とあだ名されているように、狂信的ナショナリズムの『シカリ派』に属していた人物であり、一向に革命を起こそうとしないイエスに失望し、その腹いせに裏切り行為を働いた」という説もあるのです。
しかし、何もユダだけが主イエスを裏切ったのではありません。ペトロも鶏が三度鳴く前にイエスのことを完全否認していますし、他の弟子たちもイエスが捕縛された時、全員が恐れをなし、師匠を見捨てて逃げ去っているからなのです。このように、全ての弟子たちが主イエスを裏切っているのですが、では、なぜユダだけが滅び、ペトロをはじめとする他の弟子たちが救われ、その後も主の栄光の器として用いられていくことになったのでしょうか。「救いor滅び」、その決定的な違いは一体どこにあったのかを本日学びますが、この本日の御言葉を「他人事」として聞き流すことだけはやめていただきたいと思っています。それは、私たち全ての者が、このユダやペトロのような失敗をし、主を裏切る者でしかないからなのです。罪人である私たちには、本日の御言葉から、一体どうしたら救いに至るのかを真剣に学び取っていく必要があるのです。