神様ってどんな方?

2025年3月16日
宣教者 高見龍介牧師

ルカによる福音書15章11節~24節

「まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。」ルカ15:20

 この放蕩息子を迎える慈悲深い父の姿に、神様の実像(神様はどういう方なのか)が描き出されています。

 父親から日々豊かな愛情を注がれていながらも、息子は父親に反抗し、財産分与を要求して、自らの欲望を満たすためだけの快楽生活へと身を落としたのです。すると案の定、破局が訪れ、そのことを悔いた彼は自らの非を認め、父親に詫を入れるため我が家へと出戻ってきたのです。通常の父親なら、父親の愛情を踏みにじり、財産までも損じさせ、醜態をさらして家名に泥を塗った、このドラ息子のことを赦し受け入れることは難しいはずです。しかし、この父親の愛情は、世間一般の愛情とは違っていたのです。彼は窮乏に瀕した息子が、父親のことを思い出す以前から、ずっと息子のことを思い続けていたのであり、しかも、それまで息子に煮え湯を飲まされ続けてきたことさえも忘れて、息子の苦しみに共感し、彼を憐れまれたのです。まさしくこれこそが、ひとたび愛したら愛しっぱなしの責任が伴う愛なのであり、神様という方は、このような真実の愛をもって私たち人間と関わってくださる方であることが分かるのです。

 さらに神様という方は、黙って人の罪を受け止めるだけの方ではないのです。まだ遠く離れていたのに、父親が息子と認めることができたのも、実に彼が、いつ帰るかも分からない息子を、来る日も来る日も積極的に家の外に出て待ち受けていたからに他ならないのです。また息子を見た時、何振りかまわず走り寄った姿にこそ、私たちを救うために進んで行動を起こしてくださる神様の姿を見ることができるのです。明日はどうなるか、明日は何を食べ、何を着ようかと悩んでいる私たちに先立って、私たちを祝福しようとして行動を起こしてくださる神様。神様とは、このような積極的な愛の持ち主であることが分かるのです。

 私たちは今、このような神様の愛のただ中にあって存在し、また生かされているのです。このことのゆえに、あなたの人生に何が起ころうとも恐れることはないのです。慈悲深い父であるところの神様が共におられることを信じて、これからも希望をもって人生を歩んで行っていただきたいと思います。

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