神の憐れみがもたらす素晴らしいこと

2022年7月10日(日) 第二主日礼拝

宣教者 岡村直子牧師

マルコによる福音書 6章30~44節

主イエスの愛と憐れみは同義語と言えます。今日の個所の主題はイエスが大勢の群衆の様子をみて深く憐れまれたことです。「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた」(34節)とあります。人々がまずイエスに求めたのは魂の飢え渇きだと察知されたのでした。イエスは神の国のことや律法の意味などを人々に、聖書(旧約聖書)やたとえを用いてお話しになったのでありましょう。人々はイエスの話を、時がだいぶたつまで聴き続けたのでした。そして食事時になって、弟子たちがイエスに、そろそろ終わりにしてください、人々が食事をする時間だからと促すと、イエスは弟子たちが困惑するようなことを言われて、解散しなくてよいように導かれました。そして驚くような奇跡が起こったのでした。そこにいた、全ての人、そのスケールの大きさに驚きますが、男が五千人…ということは女性や子どもたちを入れればおそらく1万を超える人々が、イエスの指示に従って動いた弟子たちによってその場に組に分かれて座って食事をしたのでした。イエスの祝福の祈りによって五つのパンと二匹の魚は全員が満腹になって余りが出るほどに分かち合われたのでした。日頃は言葉を交わすこともないような様々な違いがある人々が、集まって食事を共にしたときは、どんな様子だったでしょうか。食事をしながら会話も生まれたでしょう。これは神の国の祝宴さながらの光景だったでありましょう。忘れられない素晴らしい体験をしながらも弟子たちや人々は、最後までイエスを信じ抜くことができませんでした。しかし神の憐れみは尽きません。昔も今も、神の憐れみ、慈しみは変わりなく、主イエスが十字架につけられるほどに深いと指し示しています。

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