2024年9月15日(日)
宣教者 高見龍介牧師
創世記35章 1節~7節
カナンに帰還したヤコブ一族は、しばらくシケムの町に居を構えました。しかし、この町でとんでもない事件が引き起こされてしまったのです。このシケムにおける大事件は、ヤコブの娘のディナが、土地の首長ハモルの息子であるシケムに無理やり強姦されるという屈辱的な事件から始まります。この非倫理的行為に激怒したヤコブの息子たち(ディナの兄たち)は、策略をめぐらしてシケムを騙し、シケムを始めとする土地の人たちを皆殺しにした上で、町中のものを略奪するという残忍行為を行ったのです。強姦という罪に対し、虚偽と殺人と略奪で報いたヤコブ一族のこの行為は、明らかに行き過ぎた報復行為であり、それは神の御心に反した大罪と呼べるものであったのです。
この事件の最中、ヤコブは何も語らず、ただ沈黙を貫いていました。ヤコブはヤボクの渡しにおける祈りにおいて神と格闘し、我を捨てて神の御心に委ねる愛の人に生まれ変わっていたはずなのですが、この時のヤコブは、神の言葉に聞こうともせず、再び自己中心および自己保全の思いに陥ったため、沈黙を貫き、これらの非道なる事件を防ぐことができなかったのです。すなわち、シケムの町でヤコブは、自らの弱さと罪により大失態を演じてしまったのであり、本来であるならば、神からの叱責とお咎めを受けなければならなかったのです。しかし、それでも神はヤコブを罰せず、ヤコブに対し、「シケムを捨て、ベテルに移住せよ!」との御言葉だけを与えたのです。
シケムの町、そこは豊かな土地だったのかもしれませんが、しかし、そこは凌辱、虚偽、殺人、略奪、自己保全というこの世的・人間的な思いがうごめていた町であったのです。そのような所では、ヤコブのような人格者であっても、人間が人間らしく生きていくことはできないのです。そこで神は愛するヤコブを命へと与らせるために、彼の罪を不問に付した上で、救いの手を伸ばされた。シケムからの脱出、すなわちベテルへの移住をすすめたのです。ベテル、そこは豊かさも華やかさもない土地でしたが、唯一、人間が幸せになれる神の言葉がある場所でした。ヤコブはここに帰還(移住)することで、神の赦しと恵みに触れ、心機一転イスラエルへと変化していくことになったのです。
私たちも、人間的な思いがうごめくシケムの町を捨て、毎主日ベテル(神の家である教会)に帰還(移住)し、神の赦しと恵みに触れて、ヤコブのように罪の生き方から愛の生き方へと変化していくものでありたいと思います。