
2025年3月23日
宣教者 岡村直子牧師
ヘブライ人への手紙 13章20節~21節
どこへ行っても礼拝に共に参加できることは喜びです。その教会の招きというよりも、神からの招きです。礼拝の中で必ず最後に「祝祷」が祈られます。私たちは年令や病気や様々な障壁によってやがて礼拝に出席することができなくなっていくでしょう。そのときまで、集まられる方々と一緒に礼拝する生活は、一週間を歩んで行く確かな励ましと支えとなります。そして出席できなくなる時にも確かに神から、また集まる人々から覚えられ、祈られて祝福されるのです。聖書にはいろいろな祝祷の言葉が出てきます。今日読んでいただくのは、新約聖書のヘブライ人への手紙の最後を締めくくる祝祷です。
「永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が、御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなた方に備えてくださるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン。」ヘブライ13:20-21
祝祷は、旧約の時代から行われていました。今日の招詞は旧約聖書の民数記から祭司による祝祷です。今も用いられている祝祷には次のようなものがあります。
「主があなたを祝福し、あなたを守られるように。主が御顔を向けてあなたを照らし あなたに恵みを与えられるように。主が御顔をあなたに向けて あなたに平安を賜るように。」民数記6:24-26
キリストの死と復活により教会が生まれたことから祝祷も変りました。祝祷をする側とされる側という区別はなくなりました。宣教者の宣教内容がどのようなものであるにしても、最後の祝祷は、神から私たち皆への祝福の送り出しの言葉です。祝祷を役割上する人もまた、その祝祷で送り出されて、主と共にある一週間の奉仕に遣わされるのです。そして「ただいま!」と一週間後の礼拝に帰ってきます。
私たちは、キリストにより神から知られ、愛されている者として出かけます。そして帰って来て一週間の全ての重荷をおろして、癒され新たにされて、祝祷の言葉と共に出かけて行きます。救い主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりという祝福が注がれているのです。だから恐れず歩んで行けます。祝福する神と共に出かけます。