祈るときには

2017年10月29日  第五主日礼拝

マタイによる福音書6章5~8節

宣教者:山本弘夫伝道主事

 本日の聖書箇所には、祈るときの注意事項が書かれています。

一つ目は、「偽善者のように人から信仰深く見られるために自分の祈りを目立たそうとするな」であり、二つ目は「神は私たちの必要を既にご存じなのだから、くどくどと祈るな」であります。

ここで祈りについて改めて考えてみます。

私たちは、父なる神、子なるイエス・キリストそして聖霊という三位一体の神のいずれに向かって祈るのでしょうか。

キリストが祈りの見本として示された主の祈りにおいては、「天にいらっしゃる父なる神様」と呼びかけて祈るように語られていますので父なる神様に向け祈ることが基本であります。しかし信仰の先輩たちは、イエス様にも聖霊にも呼び掛けて祈っております。

ヨハネによる福音書にはキリストの名前によって祈る祈りは聴かれることが強調されています。祈りの力は他の箇所でも示されています。

何を祈るかに関しては、次回の主の祈りの箇所で語られております。

また、私たちの日常生活の折々の感謝の祈りは、有意義であます。

朝起きた時には、新しい一日が与えられ、新しい命の時間が与えられたことを感謝し、この時間を神様の御心にかなうように有益に有意義に生きることができますようにと祈ります。

夜寝るときには、一日の全てを感謝し、反省すべきことは反省し、全てを神に委ねて眠りにつきます。

祈りは自分の思いを語るだけではなく、神の御心を聴き取ろうとの思いも必要です。祈りは神との双方向の交流であります。そのため瞑想的な祈りもあります。祈りは、神様からの大きな恵みであります。

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